「お金のために働いている」のは「甘い」のか?

フリーランス

会社員時代、外部のファシリテーターを招いてワークショップのようなものがありました。
その中で、私は「お金のために働いている」「会社にいればお給料が入る」という発言をしました。
するとファシリーテーターから「それは甘いんじゃないですか?」と言われたのです。
当時25歳くらいでしたが、なんか泣きそうになりながらも、「甘いのか?」とモヤモヤしたのを覚えています。

決して手を抜いているわけではない

働く理由と、手を抜くかどうかは全く別問題だと考えています。

モヤモヤした理由はこれです。

手を抜いたり、仕事をしなかったり。
それでいて給料をもらっているのであれば、「甘い」というのもわかります。

でも、私は自分の給与レベル以上の仕事をしていました。
実際、上司からの評価もかなりよかったです。
仕事はしっかり、求められている以上のものをしていたつもりです。

「会社にいればお金が入る」、これは事実です。
就業時間が決まっている会社では、仕事をしてもしなくても、就業時間に会社にいさえすれば同じ給料が入ります。
ある意味、「やってる感」さえあればいいのです。
事実を発言したまでです。

「やってる感」出して実際に仕事しない人もいる中、私はかなり仕事していたと思います。

ちゃんと仕事をしているのにも関わらず、何も知らない外部のファシリテーターに「甘い」と言われたことに対し、納得が行きませんでした。

なんのために働いているのか?

「会社や社会のため」が美しいのでしょうか?
また、「やりがいがある」などを求めているのでしょうか?
どんな回答が正解だったのでしょうか?

私は、正解なんてないと思います。

お金もらえなければ、私は仕事をしません。
生活費を稼ぐために仕事をしています。

それを正直に発言しただけなのに「甘い」のでしょうか?

「生活費を稼ぐため」が大前提にあり、その上で「やりたい仕事か?」「理念に共感できるか?」などあるのではないでしょうか?

「お金のため」は理由としてタブーなのか?

会社に尽くしている、会社のために〜、よりよい社会に〜、みたいなのを求めすぎな気がします。

お金、めっちゃ大事だと思います。
生活の安定のためにも、精神の安定のためにも。
でもなぜかお金の話を社内や上司や経営層とするのがタブーな雰囲気がある気がします。

社員は歯車でいいと思うんです。
その歯車の士気を上げるのが上層部や経営陣の仕事です。
また、歯車を組み合わせてどう動かすかを考えるのも上層部の仕事です。

社員は与えられる報酬相当の仕事をすればいいと思います。
仕事のできる社員、求めるもの以上の仕事をする社員には、それなりの報酬で報いてあげれば士気が上がると思います。
報酬が誠意だと思います。

当たり前に「お金大事」と言える社会になったらいいのにと思います。

フリーランスになって

仕事に対してダイレクトに報酬があります。

後ろめたさなく堂々と「お金のため」と思って仕事をしています。

でも、取引先のメリットになるように、喜んでもらえるように仕事しています。
頂く報酬相当以上と思ってもらえる仕事をしようと思って仕事をしています。
誠実に仕事をしているつもりです。

うまいこと言ってタダor安く使ってやろう、みたいな人も少なからずいます。
「ちょっとやってみてくれない?」みたいな人いるんですよね。
そういう案件は、報酬に見合わない仕事なので、引き受けるだけ損です。
お金のために仕事をしているので、そういう案件を嗅ぎつける能力も培われていっていると思います。

先述のファシリテーターみたいな人は「損得で考えるのは甘いんじゃないですか?」と言うのでしょうか。

フリーランスになってから、同じようなフリーランスの人と話すと「お金って大事」という話によくなります。
私間違ってなかった、みたいな気持ちになります。

ある言葉に救われた気がした

育児をしながらの仕事は正直大変です。
ただでさえ少ない時間を、自分の睡眠時間や休息の時間削ってやっています。
お金をもらえなければやりません。

「お金もかかる時期ですもんね。もっと稼ぎたいですよね。」

ある取引先の方に言われた言葉です。
仕事をダイレクトにお金に繋げていいんだと思って、救われた気がしました。

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